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義経の徳をしのび、その甲冑を埋めた上に建てられた。源義経が祭神になっている。
義経主従16名が参拝した神社。そのうちの一人鈴木三郎重家は老齢のためここに残り、神主となった。
義経主従は3年3ヵ月にわたって黒森山に籠もって行を修め、般若経六百巻を写経して奉納した。
源氏の一族の源義里が居館を構えた地。
義経の遺児をまつったとされるところ。
義経の追っ手の武勇の誉れ高い畠山忠重の亡くなった愛馬をまつる神社。自らの鎧を霊に供えたという。
金色の鵜を見た義経が、7日7夜、道中守護を祈願した神社。その後、神のおつげを聞き、山頂に鵜鳥大明神をまつった。
一人の追っ手が義経と対峙するも、その人徳に心打たれて家来となった。その比企(ひき)藤九郎藤原盛長をまつる。
義経を追っ手から守り亡くなった清河・羽黒・権現という3名の山伏をまつるほこらと伝えられている。
義経主従を追いかけた畠山重忠が、落ちゆく義経に同情しわざと矢をはずして助けたと伝わる地。
義経一行の八戸での仮住まいの地。名の由来は、後に義経が高館に越した際、館を引越しした所という意味。
義経の正妻が愛用したと伝えられる青銅製の手鏡(菊花紋双雀紋鏡)が社宝として守られている。
海路で北上した義経主従が上陸した種差海岸からほど近いところにある神社。ここで休憩したと伝わる。
ここから車で5分の所に「源治囲内」という地名があり、義経主従をかくまった村人が住んでいた。
義経の館である高館山の麓にある。義経が写経したと伝わる大般若経が保存されている。